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どうも、最近情報収集の方法について改善を考えているkuronama です。
本当にガラケーが必要なのか
今回は珍しく他サイトの記事について思ったことを書いてみる。
あんまりこの手の記事は書いたことが無いので表現とか文章回しが拙かったらゴメンなさい。
対象の記事はこちら。
「ガラケー再興」待望論は根強くあるものの… 作りたくても作れない、製造サイドの事情とは|スマートフォンの理想と現実|ダイヤモンド・オンライン
別にこの記事自体について噛みつきたいわけではないのだが、文章を読んでいてちょっと気になった。
気になったのは以下の点。
確かに私の周りでも、「ガラケーが懐かしい」とか「やはり2台持ちじゃないと無理」といった声は、しばしば聞かれる。それも、いち早くスマートフォンへ移行した都市部の消費者、特に音声通話がある程度は必要なビジネスパーソンからの声が大きい。
電池問題、セキュリティやプライバシーの懸念、通信障害、音声通話端末としての不便さ、等々…。スマートフォンの普及に伴い、その課題も浮き彫りになってきた。フィーチャーフォンの「守られていた居心地のよさ」という魅力が、それを失ったことで再評価されている。
これね、全般的に見て単純にユーザーの甘えが原因だと思うんだよ。