戯言

7月7日の戯言

今日は七夕ですよ
だからといってどうしたということもなく黒生個人としては、今日はボーナス支給日であり絢爛舞踏祭の正式発売日というほうが重要だったりする。
今夏のボーナスは3月の期末賞与で一部前渡ししてあるよ、との社長のお言葉であんまり期待してなかったが実際支給額を見てみると
うはwwwオレ大して働いてねぇのに貰いすぎwwwwww
なんか冬のボーナス時にも上記と同じようなことを書いた気がするが、黒生としてはかなり満足いく額だった。
とはいっても半額がCopenタソのローンで消えるわけだが…
う~ん、今年もローンウルフ。
とりあえずこの金を元手に予定通り小型ノートPCでも買うかな。
昨日は速攻定時帰りにて絢爛舞踏をやる。
やっと戦闘を体験したけど…、訳わかんねw
とりあえず対象の三角形に自分の三角形を近づけていけばいいらしいが…
まぁ芝村準竜師曰く、『戦闘はヌルめ』だそうなので割と適当にやっても勝てたけど。
ていうかチュートリアルが一通り終わると、いきなり敵襲があったりするんだけどこれがまたすごくイイw
普通にマターリ食事なんか摂ってると、いきなり船体が揺れて『第一種戦闘配置』のアラートが鳴り響く。
今回のプレイヤーはパイロットを選択したので自力で走ってハンガーまで行くんだけど、この辺を自分で操作できるのが面白いと思った。
もちろん自分がパイロットでも、ア○ロの如くハンガーに行かず戦闘拒否することも可能。
まぁその場合は他パイロットが頑張ってくれないと火星の海の藻屑と消えるわけだけど。
改めて思うけどホント自由度の高いゲームだと思う。
その代わりプレイヤーが自分なりの楽しみ方を見つけないと、あんまり面白くないゲームになってしまうわけだが。
この辺の話しを芝村準竜師が公式HPのBBSで述べていたので一部抜粋してみる。

D.このゲームが使い手を選ぶというのは、結局のところ、莫大な自由がある=面白くないプレイも可能であるということに全部起因している。
 面白い遊び方をせずにつまんない遊び方をしてがっかりすることも、出来るわけだ。
そして何も考えずに遊ぶ場合、(通常、プレイヤーの視野は狭いので)つまんない遊び方をしたときに、それが間違っているということに気づかない可能性が高い。
 これはそのプレイヤーが悪いわけではなく、単に生体部品としての人間の視野角の問題である。
結論:
 絢爛舞踏祭には不可能がないが、それが実現可能な範囲の中には、つまんない可能性だって、たくさんある。
 絢爛舞踏祭を使いこなすということは、このつまんない可能性を排除することと同義である。
 つまんない可能性を排除する=つまんない原因を排除するに等しい。
 理論面から説明すれば、絢爛は因果がしっかりしたゲーム、つまりシミュレーションなので原因を叩く事で任意の結果を得ることが出来る。
つまり望みの面白いゲームという結果を、原因叩いて引き出せる。プレイヤーに課せられる操作は、最終的にはこれに集約する。
結論2:使い手を育てればいい。
 つまんない可能性の最大は使い手の操作にある。
言い方を変えれば使い手を育てることが出来れば、絢爛は期待する性能を発揮することが出来る。
 他のすべてのゲームが”(特別な訓練、教育などをしていない普通の)人が使う”ことを前提にしているのに対して、絢爛は高性能のためにこの前提を完全に無視している。
絢爛舞踏祭は人機一体の名の下に、絢爛舞踏が運用することを前提に作られた。
 通常の商品のまったく逆のコンセプトで、誰もが使えるいい商品、すなわち大衆車ではなく、高性能(ゲームにとっての高性能とは面白さとドラマである)車、俗に言うスポーツ、あるいはスーパーが、絢爛舞踏祭の商品コンセプトである。
スポーツカーは生活に使用する車としてとらえると、ひどく使いにくい。
同じことが絢爛においても言え、絢爛は他ゲームと同列で扱って(比較して)もほとんど意味はない。形態は同じだが用途目的が、異なる。息抜きではなく、面白さを求めるのが絢爛舞踏祭である。
ゲームは真剣に遊ぶだけの価値がある。そういう人間のためだけのゲームが、そろそろあってもいい。絢爛はそういう商品である。

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